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元盛松探訪・・・・・・・・・
2008 / 03 / 06 ( Thu )
元盛松

先日告知しました元盛松探訪のイベントに行ってきました。

予想以上に壮大な石垣の文化と特異なその歴史に驚くばかりです。

ぜひ観光資源としても検討していきたいと思います。

歴史

文化年間(1804~17)の初め、江戸幕府の命により和歌山藩が編纂した『紀伊風土記』に「下松」と言う村名で出てくる。 

「下松」と言う名から「サガル」と言う意味合いを嫌い、将来の繁栄を祈って1772年に「盛松」と改称したと云われる。

「紀伊南牟婁郡誌」によると、新宮の堀内氏がこの地区を討滅した1575年以前からこの集落が存在していたことが伺える。

1601年の尾鷲地区の検地によれば、隣接する三木浦は二十二戸、早田は七戸であるのに,盛松は二十七戸で、当時は大きな集落として位置づけられていたようです。

1874年【明治5年】の戸籍簿によると、三木浦九十七戸【542人】、早田浦五十二戸【223人】、盛松は二十七戸【126人】と記されている。
なんと! 盛松では270年もの間27戸の戸数が守られてきたのです。
この二十七戸という数字は、この地特有の立地により、村を守るために必要な取決めだったようです。

1922年【大正11年】に三木浦に始めて電灯が点り、文化面、生活面での遅れには勝てず、先祖伝来の地を棄て、昭和初期にかけて全戸移転することになる。

集落跡の様子

盛松は周りを山に囲まれ、海は大きい石の浜により隔離された村落で、尚且つ村をぐるっと一周する背丈ほどの猪垣が砦(要塞)を連想させる。
その猪垣の三箇所には木戸が設けられて、村と外部とを行き来する出入り口であった。
また猪垣に沿って外側には立派な道もあった。

戦時中盛松から出征兵士が出ると、そのものを先頭に集落の人々全員が猪垣の外の道をぐるっと回り送り出したそうです。

村内には1611年、周峰千徹僧が開基した海蔵寺がある。
このお寺にある老松は枝を下げどこからもよく見え特徴があったので、「下松」と呼ぶようになったらしい。
大正12年にはこのお寺に三木浦の小学校の分教場が設置される。
ここで小学校4年まで学び、5年生からは峠を越え、船に乗って三木浦まで通学した。
下校時には日用品を調達し担いで村に戻ったそうです。

村内は奥地と下地に別れ、奥地には多くの湧き水があり、庄屋の屋敷なども奥地にあった。
豊富な湧き水から水路を通して村内唯一の水田も庄屋屋敷のスグそばにある。
反して下地地区では水は貴重でわずかな湧き水を石をくりぬいた共同水槽に貯めて利用していたようです。

村の広さは東西南北数百メートルで、そのほとんどが住居や畑の石垣と石畳の通路からなる。

村の一番海岸よりには鏡神社跡がある。
現在の三木神社にある奥の小さな鳥居は、鏡神社の移転時のものです。

明治時代、姓を名乗るようになり、盛松の住民は奥地に住むものはすべて「奥地」、下地に住むものはすべて「下地」を名乗ったそうです。
現在三木浦の苗字に「奥地」「下地」が多いのはそのためです。

海岸は直径1メートルほどの花崗岩の丸くて白い石がごろごろしている。
この石をゴロタ石と呼ぶ。
ゴロタ石海岸の両端はこの地方の海岸によく見られる柱状節理が発達して、多くの奇岩が見られる。
南側に少し行くと海食崖を人工的に削り海面付近まで通路がある。
最後の岩の斜面には人工的に削られた階段があり、その両脇には手すりのロープなどを固定する柱を立てる穴がいくつか見られる。
ただ波の荒いときには、とてもこの場所には船をつける事が出来なかったと想像される。



写真後ほどアップします
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05:46:31 | 尾鷲の史跡1 元盛松 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
「廃村の元盛松探訪ツアー」のお知らせ
2008 / 02 / 11 ( Mon )
廃村の元盛松探訪の件

寒い日が続きますが皆さん風邪などひいてませんかぁ~

私、まっさんはヤボヨウや季節的な忙しさから、元気なんですがなぜかあまり動けない日々が続いてます・・
そろそろどっか行きたい、なんかしたい!って思っていたら、知り合いからお誘いがきました。
以前からず~っと気にしていた、陸の孤島、元盛松の探索でした。
2月の寒い時期の平日ですが、この頃までに今の仕事を一段落させて参加することにしました。
そこでまだ少し定員に余裕があるようなので、この場をかりて募集します!

以下の文は、募集パンフレットのものをそのまま掲示しました。

************************************************


第6回 紀伊半島みる見る探検隊
尾鷲市 三木崎の西 ・・・・
隠れるように小さな集落跡があります。
昭和2年から昭和4年にかけて、三木浦湾の奥「コノワ」の地へ全戸移住した『盛松』の集落跡です。
元盛松の人々は、荒磯で船掛が悪いために漁業を営むことが出来ず、限られた土地では農業も専業できず,細々とした山稼ぎや、人力による山越えで運んだ物資に頼り、困難な生活を続けてきました。
なぜ不便な場所に住んだのでしょうか? それは400年前・・・・・・・

廃村後の元盛松は訪れる人や当時の事を知る人が少なくなり、忘れ去られてられてゆく運命にあります。先人の苦労が伝わる元盛松の集落跡をたずねて、海辺に暮らす人々の暮らしを探りませんか?

ルート

熊野古道センター駐車場 ===== 三木崎遊歩道入り口 ・・・・・ 二又 ・・

・・・・ 二又側木戸 ・・・・・・ 運動場跡 ・・・・・・ 海蔵寺跡 ・・・・・・ 庄屋屋敷跡 ・・
・・・・ 頼母側木戸 ・・・・・・ 奥地地区 ・・・・・・ 下地地区 ・・・・・・ 鏡神社跡  ・・
・・・・ ゴロタ浜 ・・・・・・ 海食崖 ・・・・・・ 船着場跡 ・・・・・・ 帰路へ
 

日時   :  平成20年2月21日(木) 雨天延期
        9::路集合、14:00時頃解散
集合場所 : 三重県立熊野古道センター駐車場
案内人   : 奥地 啓吾さん
参加費   : 1,500円 (保険代、資料代含む)
募集人数 : 15名
持ち物   : 弁当、飲み物、雨具、帽子、手袋など

※ 歩きやすい服装でお越し下さい。ダニよけに、肌を露出しない服装、ナイロン生地などの衣服がお勧めです。
三木崎までは各自移動、現地までは徒歩移動です。
詳細はお問い合わせ下さい。
自己責任においての参加となります。事故怪我などは国内旅行保険の範囲内で対処することに同意の上でお申し込み下さい。

お申し込み・お問い合わせ 
くまの体験企画 内山
℡ 090-7865-0771
(主催) くまの体験企画  (後援) 尾鷲観光物産協会

************************************************

以上

申し込みは私、まっさん宛てでもかまいません。 

まっさんこと (福田 晃久) 
℡ 0597-25-2078
携帯 080-3648-5499
メール tud5thma@ztv.ne.jp

尚、当日遠方からのお越しで宿泊を希望の方がいらしたら、、コテージ・ウッドペックに特別料金、なんと!!お一人様3,800円でお泊めします!!
もちろんお一人でもOKです!!
ただし同企画に複数の宿泊希望があれば、相部屋になる場合がありますのでご了承下さい。
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